今日小林麻央さんのブログを見て、彼女のお姉さんである小林麻耶さんのブログも流れで見ていました。
そこで、紹介されていたお話を読んで思ったことを。
さとうみつろうさんという方、この本の作者だそうです。
よく本屋さんで見かけるし、よく売れた本ですよね?まだ読んでませんが、今度読んでみよう。
闘病生活~大事な人に、「大事だよ」と伝えられる期間のありがたさ~
http://ameblo.jp/mitsulow/entry-12206390587.html
物事には色々な側面があって、自分ではどうしても変えられない事象に対しても受け止め方次第で全く変わったものになる。
小林麻耶さんだって、麻央さんの病気が明るみに出るまで「妹の家に入り浸ってる」「梨園の妻になった妹に嫉妬してる」みたいなことを言われていたけど、
その実は、病気の妹を献身的にサポートしている「優しいお姉ちゃん」だった。
少しずれたので、さとうみつろうさんが話している
「大事な人に、大事だよと伝えられる期間のありがたさ」について。
こういう話って、実際に自分の身に起こるまでは、遠いどこかの国で起きている紛争のような、どこか他人事であったりする。
そしていざ自分がそうなった時に「これか」と思う。それもまた時とともに風化することもあったりして。
私は3年前、大切な娘を亡くした。
そのことが起こるまで、私は今日と同じような明日が当たり前にやってくると思っていた、というか意識もしていなかった。
だから、まだまだ手のかかる1歳半の息子と生まれたばかりの娘を両手に抱えて、二人に同時におっぱいを飲ませたりして、とにかく疲れていた。
育児なんてそんなもんだし、みんなこうやって一生懸命子どもを育てているんだ、と思いながらも、
子どもがいることでできなくなったことみたいなものばかりを数えて過ごしていたように思う。
彼女を失うことになるなんて想像もしなかったから。
その日の朝、なんの予兆も感じていなかったけど、ふと娘に「大好きだよ」と言ったのを覚えている。
それまで、心に余裕がなくて、ゆっくり娘だけを見つめていられる時間を持てなかった。
やっと心の底から自然に言えた感じがして、そして今までなかなか言えていなかったことに気がついて、少し嬉しい気分になった。
少なくとも、確実に、一度は、声に出して、「大好きだよ」って言えたと思えることは、娘からのプレゼントだったんだと思っている。
後悔ばかりの中で、唯一私ができたと思えることだったから。
それからしばらく、明日がないかもしれないと思いながら生きなくちゃと思って
これが息子とかわす最後の言葉だったら、と思うとしっかり聞いておきたくて、寝床でずっと息子に付き合ってなかなか眠れなかったりした。
そんな気持ちも、3年経って日常の中で風化していっている。
最近また、患者さん達と話す中で、あのときの気持ちを思い出すことがある。
いつ来るか分からない、誰にでも訪れるお別れの時に、できるだけ後悔しないように。
妹がくれた絵本、「ずっーと、ずっとだいすきだよ」を息子に寝る前に読むと
「ママ、ずっーと、ずっとだいすきだよ」と言ってくれる。
「ママも、ずっーと、ずっとだいすき」と言ってぎゅっとする。
今日もこの上なく幸せだと感じて眠りにつく。
たとえ、目が覚めた時に私が死んでいても、息子は私に気持ちを伝えていた分、すこし楽かもしれないと思いながら。